表現しないで居られることも、表現の自由

文章が全然、まとまっていない感じなのですが、自分の中では書いて気が済んだので、アップしてしまいます。



最近はあまり聞かなくなりましたが、卒業式などで君が代を歌わない、起立しない教職員や、それを理由とした処分が問題になることがあります。

「君が代」義務付けは不当か 大阪府の「口元監視」に教職員組合は抗議

大阪府立支援学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立しなかったことなどを理由に減給処分を受けた教諭が9月24日、府を相手取り、処分の取消と慰謝料200万円を求める訴訟を起こした。


私自身は、教職員の方々が自由な意思で歌わない、起立しないのは、思想、表現の自由を保証する憲法が日本にあり、実現していることを示しているのであって、特別に問題視する必要は無いのではないかと考えています。


しかし、10年ほど前にあった、君が代のピアノ伴奏を拒否した職員への処分が不当であるかどうかを争った裁判については、ちょっと違う考えを持っています。

日野「君が代」伴奏拒否訴訟 - Wikipedia

市立小学校の音楽専科の教諭X(原告・控訴人・上告人)が、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を内容とする校長からの職務命令に従わなかったとして、東京都教育委員会(被告・被控訴人・被上告人)から戒告処分を受けたことから、上記命令は思想・良心の自由を定めた日本国憲法第19条に違反するとして、上記処分の取消しを求めたものである。

最高裁は本件職務命令が憲法19条に違反しないとして、Xの請求を認めなかった。本件は、一連の入学式・卒業式における国歌斉唱の際にピアノ伴奏を拒否した教諭に対する処分の可否について、初めて最高裁としての判断を示したものである。


裁判や、憲法上の争点は私の理解の域を超えていますから何も言えません。
ですが、ピアノ伴奏の拒否を認めてしまうと、代わりに演奏する教師の思想を強制的に表明させることになり、そこに問題が生じてしまうと思います。


うまく、伝えていないと思うので、くどく書いてみます。
最初にピアノ伴奏を断った教師は、拒否することも世間に知られることも、自分の信念と判断の結果ですし、自分の責任の範疇ですから、周辺がとやかく言う事では無いでしょう。
しかし、その代わりに演奏することになる教師は、どうでしょう?
最初に演奏することになっていた教師がピアノ伴奏を拒否したから、変わりに演奏することになったわけです。
そういう状況で演奏したら、周りの人々は、この教師の思想・信条がどのようなものだと判断するでしょう?
最初の教師は君が代の伴奏を拒否できたのに、代わりの教師はピアノ伴奏を受け入れたのですから、君が代への拒否感情を持っていないと判断されてしまいます。
たまたま、ピアノの伴奏ができたというだけで、自分の思想・信条を表明することになってまうわけです。
それは、酷でしょう。


だから、ピアノの伴奏のようなものは、職務命令として断れないことにしておき、「君が代の伴奏をしたのは命令だからであって、自分の思想、信条とは無関係です」と言えるようにしておく必要があると考えます。
つまり、自分の思想、信条を語らずに居ることも、他人に強制的に語らせないことも、表現の自由には含まれていると思うのです。
(ここまでが前段。次の段落だけが本文)


もちろん、政治家や評論家のように、問われたことには何らかの回答をすることを期待されている立場の人も居ます。
そのような人が、聞かれたことに答えなかったら、批判されるのは当然です。
しかし、批判の対象は無回答という点のみです。
「回答が無いのは、〇〇という意見だとみなす」などというのは、やりすぎです。
そんな前提の付いた質問は放置するというのも、一つの見識でしょう。
思想、表現の自由という観点からは、それが正しい対応だとも言えると思えます。




おまけ。
上記の話とは関係ありませんが、こういうアンケートは、どうかと思います。

放射能NO!ネットワーク取手 茨城県議会議員選挙

福島原発事故放射能対策と東海原発についての政策アンケート
(略)
3、私たちは、東海第2原発廃炉にすべきだと要望していますが、東海原発の再稼働についてどう考えていますか。

新聞社などの行う世論調査では、質問文によって回答が偏ってしまうので中立的な質問にすることに苦心しているそうですし、それを悪用して、期待した結果になるように質問文を作っているのではないかと疑われたりもしています。
この質問文は駄目でしょう。
いっその事、「選挙というイベントに合わせて、自分の団体の活動のために候補者の意見を利用したいので回答して欲しい」とでもしたほうがよかったんじゃないでしょうかね。
そういうアンケートは無視するというのも、立派な判断でしょう。