「電気は足りた」は言葉のごまかし


関西電力管内での節電量は11%で、要請されていた10%を超えたそうです。
しかしながら、原発が再稼働する前は15%の節電を要請をされていたことを考えると、節電で電気は足りたと言えるのかどうか。
(節電の要請が緩和されたといって、節電量を変えられる器用な人や企業はほとんど居ないでしょう)


そもそも節電の要請をしているという時点で電気は足りてないということのはず。
新聞の投書にありましたが、視力の悪いひとが照明を消した駅のホームで危険な思いをしたそうです。
太平洋戦争末期に「鍋やお寺の鐘を溶かせばいいんだから、鉄は足りてる」とか「ガタルカナル島で餓死しても本土から兵士を送ればいいんだから兵力は足りてる」とか言っていたらおかしいでしょ。


原発の代わりに火力発電所を動かすために年間3兆円程度の燃料(天然ガス)を輸入しています。
一日にすると、約80億円です。


閉館してしまったそうですが、東京タワーの「感どうする経済館」という内閣府の広報施設に100億円ベンチ(椅子)というのがあったそうです。(google イメージ検索 100億円ベンチ
おおむね、これだけの札束を(原発の代わりに)毎日毎日、ボイラーに投入して燃やしているということです。


東京スカイツリー(総工費650億円)なら、8日に一本づつ建設可能です。
3兆円を国民全員(約1億人)に配ると1人3万円なので、4人家族なら年間12万円で、月1万円の出費に相当します(先日の政府の試算で原発ゼロなら光熱費2倍としていましたが既に現実です)。
木造住宅の耐震補強に回せば、1軒300万円としても100万軒分ですから南海トラフ地震時に数万人を救える可能性のある金額です。


「停電は起きなかった(起こさなかった)」というだけであって、「電気は足りた」というのは、言葉のごまかしでしょう。


だいたい、「停電が起きなかった」から「電気は足りてた」というのは、「(今まで)事故は起きなかった」から「原発は安全だ」というのと同じ論理としか思えません。


そういえば、昨年、電力不足は起きないという試算をされていたひとのなかには、なぜか2010年の猛暑ではなく、平年(平均)の暑さを基準に消費電力量を算出するということをしていましたが、今年は、かなり暑かったですよね。
「想定外」だったんでしょう。



関連リンク

http://openblog.meblog.biz/article/11208692.html Open ブログ: ◆ 電力の危機管理
要するに、気象条件や節電の努力によって、「最悪の事態は免れた」ということだ。
 で、赤旗や朝日は「運良く最悪の事態を免れたのなら、最初から最悪の事態を避ける努力は不要だった」と述べているわけだ。
 この論理、どこかで聞きましたね。そうです。東電です。
 「地震津波なんか起こるはずがない。最悪の事態を避ける努力は不要だ。これまでだってずっと大丈夫だったんだから、これからもずっと大丈夫だろう。安全確保のための努力なんか、やるだけ無駄だ」
 東電はこういう理屈で、安全対策をなおざりにした。そのあげく、あのざまだ。

http://openblog.meblog.biz/article/11244420.html Open ブログ: ◆ 電力の危機管理 2
問題は、8月20日だ。この日、九電は他の電力に融通する余裕がなかった。また、他の電力も余裕がなかった。(その証拠に、卸電力の取引価格は2〜3倍に急騰した。)つまり、この日は、関西電力は、融通を受けたくても、融通を受けることができなかった。(略)
 暑さは気温と湿度で決まる。そして、この日は、気温は普通だったが、湿度はとても低かった。そのおかげで、蒸し暑さを感じないで済み、比較的しのぎやすかった。だから電力需要はあまり多くならなかった。……そういう幸運があったのだ! ラッキー! 

http://synodos.livedoor.biz/archives/1973207.html SYNODOS JOURNAL : リスクと無駄とコスト  山口浩
いずれかのリスクを過大に見積もれば他のリスクは過小評価される。それがうまくいけば結果として私たちがこうむる損害は少なくてすみ、うまくいかなければより大きくなる。対策が充分なら安心度は増すだろうが、コストもかかる。いずれにせよ、私たちの選択のツケは私たち自身が払う。
そうした「覚悟」なしに選択を行えば、必ずや将来、どこかでもう一度、「私たちはだまされていた」という状況に陥るパスカルの有名なことばをもじれば、人間は「考える葦」であるだけでなく、「選択する葦」でもある。この2つはセットだ。ある選択において失敗したとして、その失敗から学ばなければ、私たちはまた何度でも、同じ失敗を繰り返すことになるだろう。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120524/232544/ 「石炭は豊富にある」という常識が覆る:日経ビジネスオンライン
レベッカ・コスタ氏は著書『文明はなぜ崩壊するのか』(原書房)のなかで、社会の問題が複雑化し過ぎると人間の脳は理解が追いつかなくなる「認知閾(いき)」という状態に達し、以下のような非合理な思い込みや行動に走る傾向にあると述べています。
・反対はするが対策はない
・個人に責任を転嫁して問題を解決したと酔いしれる
・怪しげな因果関係に飛びつく
・物事の原因が不明でも何か一つにこじつける
・緩和策や応急処置に満足し根本問題を先送りする
・問題を細分化してより複雑にしてしまう
・行き過ぎた経済偏重行動をとる
・何もしないことを罪悪視する風潮になる
(翻訳者があとがきで追加したもの)
 どれも現在の日本のエネルギーの議論にぴったり当てはまるようで、もしかしたら私たちの社会は本当に崩壊のプロセスに向かっているのではないかと思ってしまうと恐ろしくもなります。

http://d.hatena.ne.jp/hyakubann/20120817#p1 どんな機械で発電しているか
http://d.hatena.ne.jp/hyakubann/20120601#p1 それは、集団自殺ではなく。 (原発の再稼動のはなし)



追記
10月末に北米大陸に上陸した「サンディ」によるアメリカの経済損失は3兆円に登るそうです。
偶然ですが、原発を止めたために日本が輸入した化石燃料費と、ほぼ同額ですね。
被災からの復旧事業なら建設業者などの売上となり内需の増加につながりますが、輸入しただけでは、単なる外貨の流出でしかない。

3兆円という金額を軽視する人は、サンディによる被害くらいなら大したことはないとでも感じているんでしょうか。

苛政は虎(台風)よりも猛し。
http://www.cnn.co.jp/business/35023982.html